【マヤ#02】マヤ文明って何だっけ?学校で習った世界史おさらい

勉強ができる方ではないし、特に世界史は興味がない学生だった つのかくし です。
こんにちは。

マヤ暦は科学でありスピリチュアルではないことは、前回のコラムでお伝えしました。

ところで、そういえば「マヤ文明」って何だっけ?
と、思いません? 思いませんか…

マヤという単語くらいは聞いたことがあったのですが、詳しくは知りませんでした。
「あー…なんか歴史の教科書に載っていたかな。」
「2011年で世界が滅亡とか騒がれていた時にマヤの話が出た気もする。」
マジでこんなレベル。

今さら世界史を学び直すことになろうとは想像もしなかったのですが、せっかくまとめたので、皆様にもご覧いただけたらと思います。

わたぼうし
わたぼうし

つのかくしの頭脳はスライム並みだから、
あまり難しいことや、深い話はできないよ。

そこんとこヨロシク!

つのかくし
つのかくし

私は学者でも何でもないので、
調べたことをまとめただけです。
あしからず。

マヤ文明って何ぞ?

マヤは中米にあるよ

まずは、マヤ文明があった場所から。

日本から太平洋を挟んだ、中米に位置しています。
コーヒーが美味しい土地ですね!

さらに場所を絞り込んでいくと、今のメキシコ・グアテマラ・ベリーズを構成するユカタン半島あたりに位置し、広範囲に広がっていました。

今の一国くらいの面積だから、なかなか広範囲だったんですね。

ここでややこしいのが文明や帝国。

マチュピチュでよく耳にするインカ帝国
アステカ神話で有名なアステカ帝国

これらは場所も栄えた時期も近く、なんとなく雰囲気も似ているので混同しがち。

特にアステカ文明とはお隣ですし、悲しくもほぼ同時にスペインに滅ぼされたため、
マヤ文明と合わせて「メソアメリカ文明」と言われます。

ちなみに、かの有名な超大作RPGに「召喚獣ケツァクウァトル」が登場します。
アステカ神話のケツァルコアトル神がモチーフですね。
ケツァルコアトル神は、マヤではククルカンと呼びます。

先古典期

文明のはじまり(まだ出来たて)

マヤ文明が現れたのは、紀元前2000年頃と言われています。

年表を見てみましょう。

世界四大文明いずれもご健在の時期です。

日本は縄文時代。
まだ狩猟生活をしていた頃です。

マヤ文明も、紀元前1000年までは土器を使用しておらず、
文化水準は日本と似たり寄ったりですね。

文明の発達(いきなりスピードアップするよ)

マヤ文明は紀元前1000年から急速に文明が発達。

「土器? 何それ食べれるの?」から
「土器? えっ、無いとどうやって食べるの?」になり、
「都市?俺んちですけど何か?」レベルに。

村→町→市→県みたいな感じで、多数の都市の大規模化が起きました。

これが紀元前か後か…くらいまで、それぞれの都市は成長し続けます。

文明の変動(おら、都会さ行くだ)

ところが250年頃には、都市が減ってしまいました。

都市たちが喧嘩を始めたのか、
都会の喧騒から逃げ出したかったのか、
より快適な都会生活を送りたかったのか。

都市は減ったものの、残った都市はさらに大規模化していったのです。

わたぼうし
わたぼうし

地方の都市より東京を目指したいもんな。

古典期

都市から国へ進化(血みどろの戦い)

先古典期で残った大都市たちは、周辺を巻き込み、国として独立していきます。

そして国同士が覇権を争う、弱肉強食の時代が到来です。

この頃は、それぞれの王族が権威を示すためにピラミッドを作ったり、
俺のヤンチャな歴史を示す石碑を残したりで忙しい時代でした。

だから余計にピリピリしてたんでしょうかね。
人身供養(生贄)の全盛期でもあります。

戦争で捕らえた捕虜を生贄にしていたそうなのですが、その身分が高ければ高いほど良いとされていたので、サイコーなのは敵国の王族です。

戦争に負けると国が滅亡するだけでなく、運よく生き延びたとしても生贄にされてしまうのですから、そりゃあ文字通り、命を懸けた戦いだったことでしょう。

国が滅ぼされるときは、ギッタギタのメッタメタにされてしまいます。
または、夜逃げのように国を放棄して森林の中で溶けていきます。
そりゃあ研究がなかなか進まないのも仕方ありませんね。

パレンケのパカル王が活躍

マヤ暦を語るにおいて避けては通れないのが「パカル王」です。

603年、メキシコの世界遺産である古代都市パレンケに彼は生まれました。
マヤ文明の中では西に位置しています。
現メキシコの中では東に位置しています。

パカルが子供だった頃はまだ小国のパレンケ。
しかし、パカルが12歳で即位してから80歳で亡くなる頃には、強大な国になりました。
どうやって国を大きくしていったのかは研究途中のようです。

80歳というのも当時の状況からして、長生きすぎない?と思いますが、調査結果で60~90歳代と出ていることから、いずれにせよ長寿で間違いないですね。

パカル王が没した683年は、日本では奈良時代に入ったころ。
そんな頃にマヤでは既に
「0」の概念もあり、1年365日も知っており、でも365日だとちょっとズレることも認識しており、
月や惑星の周期も計算していたなんて、マヤの人たち凄すぎませんかね。

パレンケも衰退しちゃうよ

栄華を誇るパレンケも滅亡の時代が来ます。

711年のことです。
初代パカル王の息子たちが王を引継ぎ、2代目は兄、3代目が弟。
この3代目が敵国の捕虜となってしまいました。
彼の生死は不明です。

3代目が捕虜となってからも4代目(パカルの孫世代)以降が頑張って再建を目指したのですが、パレンケは徐々に衰退し、人々が離れていきました。

諸行無常。

後古典期

衰退の一途だけど知識・技術はスゲェ

スペインに侵略されるまで、悲しいほどに衰退していきます。

が!
すごいのは、1200年代で既にゴムボールが存在していたこと。
そしてゴムボールを用いたサッカー的な球技があったこと。

つっても、負けたチームが生贄にされる完全な闇のゲームでもあるし、
政治的な意味合いもあり、捕虜チームが負ける設定というカ〇ジ要素もありました。

衰退が激しかったのは主に中部あたり。
一方、北部のユカタン半島ではカカオ豆等の交易で栄えていました。

とうとう来たスペインの侵攻

1519年のこと。
スペインのエルナン・コルテスが無断で突然、お隣のアステカ文明の侵攻を開始。
1521年にはアステカの首都は落とされ、破壊され尽くし、そこに今のメキシコシティができました。

1523年、コルテスの右腕であるペドロ・デ・アルバラードがマヤ系諸国に侵攻しました。
この人、先住民に対し残虐であったと言われています…

アルバラードが現グアテマラ方面から攻め入ると同時期に、
なんと南側からも別隊が侵攻しており、マヤは挟み撃ちにされています。

マヤはアステカと違い、諸国で形成されているため、スペイン勢はあっちこっち行って回ります。
途中、スペインの都市を作ったり、反撃されたり。
1697年、ついに最後のマヤ諸国タヤサルが陥落しました。

日本では江戸時代。
生類憐みの令の5代目:徳川綱吉の時代です。

まとめ

中米に位置し、紀元前2000年からとても長い歴史を持つマヤ文明。
その歴史を読み解くにはまだまだ時間がかかりそうです。

非常に高度な文明でしたが、マヤ文明内の争いや、スペインの侵攻により、研究は難航していますが、新たな発見や解釈がされるたびにワクワクしますね。

なんせその知識レベルの高さのせいで、パカル王は宇宙人だったとか宇宙と交信していた等と言われるほどでしたから。

この辺りは次の機会にしましょうか。

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